『自分の体は自分で守る』

”歩く”ことで健康を取り戻した25歳が自身の経験から若い世代に”健康”や”歩行”の魅力を伝えるブログです

柔道整復師を目指したキッカケ・2

こんばんは!

柔道整復師3年目のなかむらです

 

今日は前回からの続き、

柔道整復師を目指したキッカケ』

について書きたいと思います!

 

前回の記事はコチラ↓

natsumi-ooo.hatenadiary.jp

 

 

中1の秋の終わりごろ、

シンスプリントを発症した私は

またしもて接骨院

 

この時は先輩の紹介もあって、

肉離れのときとは別の所へ

通院したような記憶があります。

 

 

と言っても施術内容はほぼ変わらず、

 

電気、ウォーターベッド、手技

 

だったような気がします(^^;)

 

 

そうしてほぼ毎日通院した結果、

1か月もしないうちに

痛みが随分軽減し、練習に復帰

できるぐらいになりました!

 

 

そんなこんなで

接骨院デビューを果たした中1を

無事に終えることが出来、

 

季節が過ぎて1年後、

中2の冬が到来しました。

 

『去年みたいにならんとこう』

と誓いながら練習に取り組んで

いましたが、またしても

スネの内側に痛みが・・・!!!

 

 

慌てて接骨院へ駆け込みましたが

この時のシンスプリントの痛みは

なかなかしつこく、

一向に良くなりませんでした

 

 

初期のころは、走り始めの瞬間や

走り終わったときに痛みがある位

だったのが徐々に痛みが増し

一番酷いときは校舎の廊下を歩く

のも痛いほどでした。

 

 

焦った私は早く治したい一心で

 

『シンスプリントとは何なのか』

『どこの筋肉が炎症を起こしているのか』

『その筋肉はどこに付いているのか』

 

などなどを必死に調べました。

 

 

そしてそのことを知った接骨院

先生が丁寧に私の今の状態を説明

してくださったことがキッカケで

筋肉や骨格に興味を持つ、少し変わった

中学生へと変化していきました(笑)

 

 

ただこの時は頻繁に通院していたものの

接骨院の先生=柔道整復師には結び

ついてはいませんでした(^^;)

 

 

 

そうしているうちに中3になり

徐々に痛みが落ち着いたころに

3年間の競技生活は引退となりました

 

 

中学生の部活=シンスプリントと

言っても過言ではないくらい

痛みに苦しめられましたが(笑)

周りにも恵まれ、楽しい3年間でした

 

 

高校でも陸上部に入部した私は

シンスプリントの不安を抱えて

いましたが何とか発症せずシーズンを

乗り越え、冬季練習に入りました。

 

 

が、

 

ここでまたしてもケガをしてしまいました

 

 

シンスプリントの次はー

 

股関節・・・。

 

 

 

この股関節のケガも治りが悪く

卒業しても2年ほど定期的に

痛くなってしまう厄介なものでした

 

 

詳しくは次回、話します!

 

 

ずるずる長くてすみません(^^;)